Meet You at Hard Rock Cafe ハードロックカフェ

世界ハードロックカフェ訪問記とトリビア

海外Hard Rock Cafe紀行2023 ②

1泊3日の弾丸でカトマンズに行ってきました。

ネパールは初めてでしたが、みなさん親切でした。親日国ですからでしょうか。

 

今回は久々にシンガポール航空利用。

4/18 SQ637 NRT-SIN 11:10-17:20

4/18 SQ442 SIN-KTM 18:55-22:00

4/19 SQ441 KTM-SIN 23:10-6:00

4/20 SQ634 SIN-HND 13:55-21:50

カトマンズ国際空港(KTM)はボーディングブリッジが無く、飛行機はすべて沖止めです。

SQの機内エンターテインメント、musicは古今東西合わせて770セレクションがあって音楽好きにはたまりません。

ネパールはアライバルビザで入国できます。窓口は混雑するという情報を信じて大使館で観光ビザを取得しました。結局アライバルビザ申請する旅行者は数人だけでした。次回があればアライバルビザにします。

 

カトマンズ滞在は丸1日ですが、世界遺産のタルバール広場、スワヤンブナート、そして王宮博物館など1日でも十分観光できました。ネパールは2008年まで王国でしたね。ホテルや飲食店が集まるタメル地区はバックパッカーが集まり、かつては多くの日本人が“沈没”した場所ですがコロナの影響で激減、代わりに白人観光客が多かったです。この便利なタメル地区のホテルマルベリーに宿泊しました。立地もサービスも良く満足でした。“沈没地”で有名なバンコクのカオサンロードほどではありませんが、確かに旅行者を惹きつける雰囲気があります。4月は乾季で気温30℃でも暑くなく過ごしやすかったです。通貨ネパールルピーは日本円とほぼパリティ(NPR/JPY=1.0)なので便利ですが、日本との時差は3時間15分と半端でちょっと面倒ではあります。

タメル地区の中心タメルチョーク

HRC Kathmanduは王宮博物館正面から南に延びる高級ホテルやレストラン、ショップが集まるスポットにあります。Tシャツの種類も多くスタッフも気さくで好感度が高い店です。

 

王宮博物館入口

タルバール広場には旧王室の宮殿や見事な寺院が立ち並んでいます。2015年の大地震で多くが倒壊・損壊しました。まだ修復中の建物もあります。



スワヤンブナートは中心部から2km離れた丘、徒歩で40分くらい。丘の頂上まで長い石段を登ります。

めっちゃサルが多いのです。それゆえモンキーテンプルと呼ばれているそうです。

 

カトマンズはとても居心地が良くて気に入りました。ネパールといえばヒマラヤ山脈で観光業が盛んかと思いきや、農業が産業の中心です。アジアでは貧困国に入りますが街の賑わいを見るかぎり経済状況は良くなっているように感じました。株式市場はここ2年くらい上下に大きく振れを繰り返しています、富裕層はこのボラティリティを利用して儲けていそうですね。どんな会社が上場しているかはわかりません、一般国民の投資は難しそうですが・・・。

訪れた国の株価は必ずチェックしています。その国の経済状況を反映しているからです。

ちなみに3月に訪れたブラジル(ボベスパ)、アルゼンチン(メルパル)ともに株価は概ね好調。国の借金に苦しむアルゼンチンでも株価指数メルパルは昨年140%も上がっています。もちろん直接投資はできません。

 

最後に帰国の際のVJW (Visit Japan Web)登録は5月8日で終了予定ですが、4月20日羽田空港ではもう提示なしでOKでした。

海外Hard Rock Cafe紀行2023 ①

再び南米に行ってきました。今回も1年前に予約した2023年3月11日ANA HND-LAX

23日 LAX-NRT に合わせて旅程を組みました。LAから南米はアビアンカとコパの組み合わせで結構安いチケットを取りました。

Santiago          BA Ezeiza         Ushuaia            Iguaz Airport   Florianopolis    Gramado

LA到着は同日11日の16時。ここからボゴタ経由でサンチアゴに向かいます。

3/11  20:10 – 3/12 06:00  LAX- BOG (AV83)

3/12  07:00 – 15:00       BOG-SCL (AV115)

ボゴタ空港の国際乗継minimum connecting time 60mins ぎりぎりで乗り継げるか不安でしたが、

ボゴタには30分早く着きました。ここは乗り換え時セキュリティチェックがあります。そこそこ混んでましたが8レーンあるので進んではいました。乗継に時間がない乗客は、“すみません、急いでます。”で列の先頭に割り込めるくらいゆるかったです。無事に6時にセキュリティを通過して余裕で間に合いました。

サンチアゴ行きは定刻到着。アビアンカは10年ぶりに乗りました。ボゴタ行の便はB787で快適でした。

サンチアゴ空港からバスと地下鉄で宿泊先があるおしゃれなロス・カンデス地区へ。前回閉鎖されていたHRCはちゃんと営業してました。翌日は市内観光して同じルートで空港へ戻りここを拠点にしているLATAM便でブエノスアイレスへ。あれっ、エサイア空港の両替屋は閉鎖されていました。

アルゼンチンは過去8回も国債がデフォルト(債務不履行)して、現在もデフォルト状態なのですが、今回は財政再建計画を実行しているのでIMFからの借り入れが認められ延命しています。中国からも多額の資金援助を受けています。誰も国債買ってくれないのです。国の信用がないので通貨のペソもずっと下落し続けています。そのため政府は為替規制していて、基本国民は米ドルや他の外貨を買うことができません。(できても月200ドルが上限)そのため両替屋も営業できなくなったのでしょう。ブエノスアイレスのフロリダ通りにたくさんあったCambioも営業停止状態だと思います。JPY/ARSのオフィシャルレ-トは0.63くらいですが、ATMで10,000ペソ引き出したら手数料込みで3,900円でした。調べてみたらアルゼンチンペソはオフィシャルレートの他にblue rate という実効レート(闇レートではありません)があり、それが適用されたみたいです。年間インフレ率100%の国ですが、現地でペソ払いをする分にはblue rate効果で物価はそれほど高く感じません。このような状況下でも暴動など起こさず、淡々といい仕事をしているアルゼンチン人は尊敬に値しますね。

南米では3月は秋ですが、サンチアゴブエノスアイレスも30℃越えで暑かったです。

 

ブエノスアイレスからはアルゼンチン航空で世界の果てウスアイアへ向かいます。Ushuaia の発音ですが、アルゼンチン航空のCAさんは“ウスアイア”だったのでウシュアイアではなくウスアイアで通します。

ウスアイアに到着したらみぞれが降ってました、風も強くすごく寒いかと思いきやそうでもなかったです。夕刻にはピーカン(死語?)になりました。南米最先端にある街は天気の変動が激しいです。滞在中は気温4~8度くらいでした。

ウスアイアはマゼラン(マガリャナス)海峡で大陸から隔てられたフエゴ島の南、ビーグル水道に面した小さい街で坂が多いです。ここはかつて流刑地だったそうです。島の西側はチリ領ですがここでの国境越えはできないそうです。HRCは街の中心サン・マルティン通りにあります。間違いなく日本から一番遠いHRCですね。宿泊したホテルは全6室くらいで近隣の住宅と同じようなサイズでしたがとても快適にすごせました。

ティエラ デル フエゴ国立公園半日ツアーに参加して世界の果て鉄道に乗り、町の背後(北側)にそびえるマルティアル氷河に登りビーグル水道を眺め3日過ごしました。次の目的地は再びのイグアスの滝です。

ブエノスアイレスで乗り換えイグアス空港へ、ここもアルゼンチン航空。イグアス空港にはHRCショップがあります。20:40着でも開いてました。ここでHRC Iguazu のTシャツをゲット。HRC Iguazu Airport店はこのすぐ後3月23日に開店しました。ミニバスに乗ってプエルト・イグアスのセントロへ。

HRC BA EZE Airport                                           HR Shop Iguazu Airport

さすが観光地、たくさんカフェやレストランがありました。ここで1泊して、翌朝はアルゼンチン側の滝観光です。アルゼンチン側のホームページには入口では入場チケット買えないからオンラインで購入するようにとありますが、入口のチケット売場で買えます。クレジットカードも使えます。150ペソで使えるロッカーもあります、バックパックを預けました。アルゼンチン側の公園内はトロッコ列車で移動。ボートとか乗らなければ、ゆっくり回っても4時間あれば全部回れます。列車の終点駅から観光のハイライト“悪魔ののどぶえ”までは長い遊歩道を渡ります。駅周辺にはたくさんのハナグマが歓迎してくれました。バスでプエルト・イグアスのバスターミナルまでもどりブラジル側に移動。プエルト・イグアスからフォスドイグアス(ブラジル側)まで1時間に1本バスが出てます。500ペソです。国境ですがアルゼンチン側のイミグレでは全員降ろされて戻るまで待ってくれますがブラジル側イミグレの入国手続きは時間がかかるので待ってくれません。次のバスに乗ることになります。特にバスのチケットみせなくてもOKです。ATMなど周りはなにもないのでとりあえずは街まで移動。フォスドイグアスで1泊して翌朝はフォスドイグアス空港へ。空港経由公園行のバス料金、10月は4レアルだったのに5レアルに値上げされてました。これぞインフレですね。

 

LATAMでフォスドイグアスからサンパウロコンゴーニャス空港(CHG)経由してフロリアノポリスへ。こちらは乗り換え時間50分でしたが、沖止めの飛行機からのバスが乗り換えホールに着くのですぐに次の便に乗るバスに乗り換えができました。時間通りの運航、LATAMのグッドジョブ。ゲートはすべてバス乗り場で飛行機が駐機してないので間隔を詰めて多くのゲートを設定できるのです。

 

Florianópolisも定時到着。空港は近代的で周辺を含めてオフィス街みたいな雰囲気です。タクシーでHRがあるVila Romana Shopping Centerまで連れていってもらいました。スタバとかが入っている典型的なSCです。HRCはテラス席がない完全屋内の店舗でした。ここで少し休んで、予約してるホテルまで6.8km海岸沿いを歩いて行くつもりでしたが、あまりに暑くて断念。海外のショッピングセンターでは珍しくタクシー乗り場があったので助かりました。歩いていたら、また窃盗にあったかもしれません。

 

次は今回の旅行で一番たのしみにしていたグラマドに行くためポルトアレグレに向かいます。フロリアノポリスの南で近いのです。地球の歩き方には一日5~6本直行便が・・でしたが。1本それも早朝6:00発のAzul便しかなかったので、ここもLATAMでサンパウログアルーリョス空港(GRU)経由にしました。8:00発です。一度北上して南に向かう経路になります。国内線専用ターミナルでもグアルーリョスは広いので乗継時間は1時間50分。予想通り到着ゲートから乗継便のゲートまで800mくらい離れてました。1時間以上空くとラウンジも使えます。朝食はFloripaのラウンジで済ませてましたが・・・。

ポルトアレグレも12:45定時到着。空港からグラマドに行きのバスがあるはずですが、バス乗り場はあれど他に何もなし。あきらめて電車で市内へ行くことに。空港からaeromoveというモノレールがあり鉄道駅Aeroportoに直結していてセントロまで電車でいけます。バスターミナル駅で降りてGramado行のバスを探したのですが、掲示板に見当たらず。チケット売場で聞いたらあっさり次の便15:00が買えました。席指定です。終点が隣町のCanneで途中空港に停まるらしい。待っている間、周辺を散策しようとしたら、突然雨が降って中止。雨の中出発し空港に停まったのですが、誰も乗ってきませんでした。

グラマドまで2時間半、空港のあとはノンストップでバスは森林地帯を走ります。そして現われたのはまるでおとぎの国のような街グラマド。きれいなカフェ、ショップ、レストランがあふれブラジルのヨーロッパ村みたいところでした。HRCはバスターミナルから4分ほどですぐに見つかりました。グラマドなんて旅行ガイドにも載っていないのですが、近くの湖、山、谷を舞台にした各種アドベンチャーが充実していてとても活気に満ち溢れていました。旅程はこれにて終了。

気になっていたのは近々オープンのHRC Porto Alegre 店、場所は郊外のショッピングモール内で現在開店準備中。ちょっと早かったですね。場所だけでも見てみようかと思いましたがパス。ポルトアレグロは最近物騒なニュースが多いので。

 

帰国便はポルトアレグロからグアルーリョス空港(GRU)までLATAM、GRUからはパナマ経由でLAのコパ航空。GRUの広いラウンジのTVでWBC決勝を途中から最後まで見ました。他に見ていたのは2人だけでちょっと残念です。でも日本優勝で旅を締められて良かったです。

GRU-LAX

3/22  01:43 - 06:35   GRU-PTY (CM758)

3/22  07:52 – 13:25   PTY-LAX (CM360)

乗り継ぎ1時間20分弱です。パナマは国際線乗降同じフロアでターミナルが同じなので通常乗継が楽です。今回は到着Terminal 2 と出発Terminal 1が異なり、しかもアメリカ行はゲートでセキュリティチェックがあるので時間を要し、ラウンジ利用の時間はありませんでした。

今回たくさん搭乗したLATAM航空すべて定時運行で素晴らしかったです。経営破綻からの再建は順調そうですね。

 

最後にESTAで米国経由中南米に旅行する方へのtips : ESTAのコピーを持参してください。帰国便のチェックインで見せろと言われます。

Thank you for the music

音楽は世界を救う。音楽に国境はない。



1960,70,80年代の洋楽(主に米英のヒット曲)が大好きで、今でも暇な時はアメリカのOldies 専門ラジオ局の放送(internet)を聴いています。

 

洋楽との出会いは小学生のころ。野球が大好きだったので楽しみはプロ野球中継でした。テレビ中継は午後9時で試合途中でも終了という時代でした。途中で終わると続きが気になります。そこでラジオを買ってもらって続きはラジオ中継で楽しみました。ラジオは試合終了まで放送するので。(今でもそうですよね。)試合が中途半端に長引くと次の番組までの空いた時間はミュージックで埋められます。

試合が終わってもラジオを消さないでいると流れてくる英語で歌われている曲。この人たちは、“一体何を歌っているんだろう?”と興味を持ち、音楽を流す番組も聞くようになりました。洋楽を流す番組がたくさんあったのです。American Top 40 に出会ったのは少し遅れて中学生になってからです。アメリカ文化に洗脳されてしまったのです。海の向こうの国のヒット曲からたくさんのことを学びました。英語はもちろん、社会、愛、人生観などヒット曲に教えてもらいました。

映画はハリウッド(渋い英国映画の方がすきです。ケンローチとかマイクリーとか・・・)野球はMLBフットボールといえばNFL、これは今になっても変わりありません。投資はもちろん米国株、そのせいかアメリカ合衆国は一番相性がいい国です。小説だけはここ10年くらいアメリカものを読んでいません、日本の小説の方が圧倒的に面白いからです。米英の映画はアメリカのヒット曲を知っていると楽しみ度上がります。効果的に使われていることが多いです。ダブリンを舞台に80sポップスが満載の“シング・ストリート”はその最たるもの。ベン・スティーラーのLIFE/ライフ(The Secret Life Of Walter Mitty)は洋楽好きのツボをついています。

 

2011年の話ですが、ブエノスアイレスの空港がトラブルでフライトの遅延・欠航が発生し、怒った乗客で大混乱に陥りました。たまたまそこに居合わせたシンディ・ローパーは港内アナウンス用のマイクをとり♬I woke up in the morning light ♪ と彼女のヒット曲“Girls Just Want To Have Fun”を歌いだします。すると空港は歓喜に包まれました。まるで映画のワンシーンのようですね。(注 この曲の放題はシンディからNG出されているので省略しました。

これぞ音楽の力ですね。

 

https://www.youtube.com/watch?v=7R3TJjAM6no

 

海外放浪者の賛歌にこんな曲があります。

 

The Drifter

 

Once again

There's a feeling inside of me

Nothing new

I've felt it before

Like the voice of hunger

Inside of me crying out

There's got to be more

 

また、あの気持ちが芽生えたんだ。

目新しいものなんかないよ、前にも感じてたから。

僕の中を何かを強く求める声が叫んでる

きっと他にも何かあるはずだって。

 

I'll put my faith

In the arms of an open road

And you can come along

If you choose

 

信じてみるよ。

腕を広げたように広がる道を

君もそれを望むなら、 

一緒に進もう。

 

'Cause there's places

That I've never been to

Sunsets to be ridden into

Not a lot I can do

But give in to the drifter

There's a drifter in me

 

まだ行ったことのない場所があるし

夕日の中に飛び込んでみたい。

たくさんのことはできないけど

さまよいたい気持ちには勝てないよ。

僕の中には放浪者がいるんだから。

 

Though I've tried it

I'm just not a settler

And nine to five

Don't make it with me

Why deny it

It makes me feel better

To come alive

And prove that I'm free

 

がんばってみたけど 定住なんてできないよ。

9時5時の仕事は性に合わないから

そんなの拒んでもいいよね?

生き生きして自分が自由だって証明する、とてもいい気分だよ。

 

I wear no chains

And I carry no heavy load

So much to gain

And nothing to lose

 

鎖に縛られてないし 背負う重荷にもない。

得るものばかりで失うものは何もないんだ

 

'Cause there's places

That I've never been to

Sunsets to be ridden into

Not a lot I can do

But give in to the drifter

There's a drifter in me

 

まだ行ったことのない場所があるし

夕日の中に飛び込みたい。

たくさんのことはできないけど

さまよいたい気持ちには勝てないよ。

僕の中には放浪者がいるから。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ndRwTrPkptI

 

https://www.youtube.com/watch?v=DU3vaY6NhAU

 

ロジャーニコラス(Roger Nichols) と ポールウイリアムズ(Paul Wiliams)の共作です。

このコンビはカーペンターズのWe've Only Just Begun(愛のプレリュード)、Rainy Days And Mondays(雨の日と月曜日は)、Let Me The One(あなたの影になりたい)、アート・ガーファンクルTraveling Boy(青春の旅路)スリードッグナイトのOut In The Country等の名曲を書いています。

 

 

 

マイレージのお話

次のHRC旅行は3月に予定してます。それまで雑記を少し。興味を持ってくれた方、ありがとうございます。

 

飛行機に乗ることが苦になりません。余暇は音楽を聴きながら読書、または映画鑑賞で過ごしているので、機内でも同じことしてるからです。旅行のお供は文庫本。機内で読んでいると、隣に座っている外国人の方に“それ日本語の本?上から下に読むんだって?そりゃすごいなぁ!” と言われることが多々あります。右から左に読むアラビア語もすごいと思いますよ。

 

さて、今回はマイルの話を。あまたいるマイラーの方々同様、自分もマイラーの一人です。

貯めているのはANAマイル。陸では2019年までメトロポイントルート経由。現在はみずほルートでANAマイルに交換しています。みずほルートとはポイントサイトやアンケートサイトで貯めたポイントをGポイントやTポイントからJR キューポイントに移し、そこからさらにみずほマイレージクラブカードANAのポイントに移行、そしてそこから70%でANAマイルに交換するものです。詳しくは他のマイラーの方のブログをご覧ください。ここで大体年間5~7万マイルくらい稼いでます。あとはIHG、楽天ブックス楽天ポイントからの移行くらいです。猛者ではありません。(楽天ブックス楽天ポイントとは別にANA楽天ブックスdeマイルキャンペーンという100円につき1マイルキャンペーンがあり、長年愛用してましたが、このキャンペーンは2023年3月末で終了とのことです。残念(>_<) )

 

マイレージプログラムことFFP(Frequent Flier Program)を最初に導入したのはアメリカン航空で1981年でした。その後、他の米国の航空会社が続きました。1990年代はアメリカ旅行が多かったのでUnited とNorthwest (Deltaに吸収)のFFP会員になりマイルを貯めてました。ANAマイレージクラブが始まったのは1997年4月。JALマイレージバンクはそれより数年遅かったはずです。“マイラー”が生まれたのがその頃でしょうか。

1997年はオーストラリアの会社の日本支社に勤めていました。海外出張に無縁の部署でしたが、極秘プロジェクトのメンバーに指名され急遽シドニー本社に出張することになりました。当時の豪州便はJAL, ANA, カンタスが成田から、ANAとAnsett Austria(破産)が関空からシドニーブリスベーンだったと思います。成田からどれを選んでも良かったのですが、ちょうどANAがマイルプログラムを始めて貯まったマイルは国内線特典航空券に使えそうだったので選びました。(今のようなアライアンスはなかったのでUAと NW マイルは北米便以外では貯められなかった。)1997年4月空港でANAマイレージクラブ申込み、そして仮の紙のカードを発行してもらいました。それ以来なんと25年超の会員です。初めてビジネスクラスに乗ったがこの時です。それまではANAJALの国際便は割高で敷居が高く外国のエアラインの格安航空券ばかり使ってました。それが海外旅行者のステータスだったような気がしますが、一転ANA派へ改宗しました。

当時はプラチナが最上位で、年間50,000プレミアムポイントが必要でしたが、1997年は30,000でOK。

成田-シドニービジネスクラスで3往復したら30,000ポイント貯まり翌年のプラチナメンバーになり加えてスーパーフライヤーズの資格も取れたのでクレジットカード付を申込みました。以来25年超続けています。翌年は上級会員にアップグレード券が付与されたので、それを使ってプライベート旅行でANAワシントンDC便の往復をビジネスクラスにアップグレード。当時はインターネットがまだ普及してなかったのでANAの支店に出向いて発券してもらいました。現在のアップグレード可の料金なんか無くて一番安いチケットでもアップグレードできたのです。いい時代でした。その後ANAの提携航空会社とマイル提携が始まり、紆余曲折を経て現在のスターアライアンスになりました。多少不便でもスタアラ提携会社便でANAマイルが貯まるクラスを使ってます。スターアライアンスの提携会社に不満はありません。強いて言えば南米が弱いですね。LATAMやAzulが加盟してくれたらとか願ってますが、ちょっと無理そうですね。

貯まったマイルの使い道はなかなか予約が入らない特典航空券ではなくスカイコインにしてます。スカイコインを使って航空券買ってマイルを貯める派です。

 

おしまい。

 

海外HRC紀行2022②

2022年マイル修行ラストスパートを兼ねて、2021年オープンしたアメリカの2店に行ってきました。

Northern Indiana (276) Cincinnati (278)です。シカゴ経由です。

 

出発日12月10日の羽田空港第3ターミナルは混雑が予想されるので、時間に余裕をもってお越しくださいとANAからメッセージが届きました。予想通り検査場には長い列、羽田では珍しい光景です。

 

シカゴには予定より早い午前7時5分に到着。UA便に乗り換えてシンシナティへ。今まで行く機会がなかったので初めての訪問です。

シンシナティ中心部はオハイオ州の端でオハイオ川を境にケンタッキー州と接しています。川の北側がダウンタウンのあるオハイオ州、南側がケンタッキー。また西部ではインディアナ州とも接しています。人口は約30万人でコンパクト、近接するインディアナ・ケンタッキーを含めた都市圏では220万人で全米28位です。

シンシナティ・ケンタッキー空港はケンタッキー州にあります。ダウンタウンまではバスで30分位です。

最初のMLBチーム、シンシナティ・レッドストッキングス発祥の地でホームのグレートアメリカン・ボールパーク周辺に博物館や記念物があります。とりあえずHard Rock Casinoに到着。街中にあるので他のカジノより小さいです。HRCはカジノの中に入っています。カジノには荷物を持っていると入れてくれないので、カフェやショップに行くには手ぶらで行く必要があるので要注意。風はありましたが、そんなに寒くありませんでした。リバーフロント地区を数時間観光しました。



さて翌日11:08amの便でシカゴに戻る予定でしたが、ユナイテッド航空から遅延のお知らせが入りました。UAには過去に何度も遅延・欠航等でひどい目に会っているので驚きません。遅延の理由が書かれていました。

 

“Flight UA1944 from Cincinnati to Chicago is delayed because your crew has not had sufficient off-duty / rest time required by federal law. It now departs at 12:40 pm.” よくわかりませんね。1時間30分勤務を遅らせるとsufficientになるのでしょうか??でも人手不足が深刻と言われているので、1時間30分の遅れなら良しとしましょう。出発が遅れたのでラウンジの食べ物コーナーがランチメニューに変わり、なんと野菜カレーとごはん、マカロニサラダ、○○サンドイッチが出てきました。ご存知の通りアメリカはインフレでめっちゃ物価が高いのでここでランチとれたのはラッキーでした。

 

さて、次はNorthern Indianaです。インディアナ州ゲーリーはシカゴからミシガン湖に沿って南へ50マイル。オヘア空港から車で1時間弱なので夏から間違いなくレンタカー。ミシガン湖沿いを通るルート90,94の眺望はドライブも楽しめます。ニューバッファローにあったHard Rock Café Four Winds(189)に行った時使ったルートです。

今回は短時間だし国際免許証取るのも面倒なので、電車を使うことにしました。

シカゴのミレニアム駅からSouth Shore Lineを使えば1時間でゲーリーのMetro Center駅に着きます。

メトロセンターと言っても名前だけで立派なシティホール、図書館等があるだけで探索してもめぼしいスポットはありません。マイケルが幼少時代を過ごした場所がこんなんだとは(>_<)タクシーもないし公共wifiもないのでuberも呼べません。ジャクソンファミリーが住んでいた家がここから徒歩1時間くらいなので行こうかなとも思いましたが、ただの空き家なので徒労に終わりそうなのでパス。あきらめて駅に引き返したら張り紙が目にはいりました。なんとHard Rock Casinoまでのバス情報。駅からのバスはいくつか路線があるみたいで係の人にきいたらR3行きバスを待てとのこと。かなり待ちましたが無事に乗れました。運賃USD1.60なのですが小銭がなくUSD2払ってもちろんおつりはなし。これアメリカの路線バスの“あるある”ですね。

Northern Indiana のカジノは広い駐車場の大型施設です。ここもカフェとショップはカジノに入らないと行けません。ショップではNIのシティTシャツに加えてGary のシティTも買いました。帰りのバスもいつ来るかわからないので、カジノの内外を一周しただけ。日が暮れて寒くなる中ひたすら乗り場で待ち続けました。やっと乗ったバスは行きと同じでした。終着はもっと先なのでその折り返しですね。

あとは電車でシカゴに戻るだけ。

シカゴは何度も来てるので特に観光はしてません。ゲーリー行きの電車に乗る前にミレニアム公園で時間潰したくらいです。シカゴは思ったより寒くなかったです。Windy Cityの風も滞在中は穏やかでした。最後にクリスマス用にライトアップされたMerchandise Martビルと来年のブル相場を願ってブルの写真をアップします。

 

おまけ : コロナで業績悪化した航空会社が真っ先にとったコスト削減が、機内とラウンジでの紙の新聞・雑誌の提供廃止です。旅先で新聞を読むのが楽しみだったのでショックでした。電子版が主流になったので仕方ないです。街中でも新聞扱っている売店はごくわずかです。

帰国便が出発するオヘア空港第1ターミナルを探し回って入手したWSJ(Wall Street Journal)の12月13日版に面白い記事があったので紹介します。

 

It’s That Mariah Carey Song – Again (げぇ~っ、またあのマライアの曲だよ!)

 

“まったくいい加減にしてほしいよね~!一日中同じ曲ばかり聞かされて。マジで気が狂いそう!”

と語るのは、シカゴのデリで働く19歳のクリスチャン・グラハムさん。あの曲とはマライアキャリーのメガヒット” All I Want For Christmas Is You” (恋人たちのクリスマス)この季節の賛歌はショッピングシーズンが始まるや否やお店、レストラン、バー街中至るところで鳴り響く。彼はこの曲が流れると、すぐに送風機の下に避難するんだって、騒音で曲が消されるからね。

 

また、ロンドンの家電品店で働くキヤ・コールマンさんの避難場所はストックルーム。“あのイントロが流れると、反吐がでるわ!”

 

ダラスのバー、Stoneleigh P のゼネラルマネージャー、ローラ・ガリソンさんはマライアの曲を早々と12月前に禁止令を出しました。

もしお客がジュークボックスにこの曲を入れたら、バーテンダーがリモート操作でスキップさせるわ。そして “AFTER DEC.1 THE SONG IS ONLY ALLOWED ONE TIME A NIGHT” の張り紙を店の前に掲げました

 

一方、歌姫マライア嬢は今年もホリデーシーズンの支配に自信満々。Macy’sの感謝祭パレードで真っ赤なガウンにピカピカのティアラを身に着けて登場。そしてハロウィンの翌日から曲をかけまくるよう呼びかけています。トナカイに乗ったサンタになって” IT’S TIME!!”

 

マライアのあの曲は市民にとって音毒に他ならずと放送禁止の請願もいくつか出されていますが、マライア側はそれに対するコメントを拒んでいます。

 

おわり。

海外HRC紀行2022①

2020年2月以来2年7か月振りの海外旅行に行ってきました。

1年前に予約していたチケットは2022年10月13日HND-LAX、25日LAX-HND

随分安かったですね。9月になってからこの日程に合うように南米旅程を計画しました。

ブラジル、パラグアイボリビアを回りました。ブラジルはかつてビザ必要でしたが、2019年からビザ無しで入国できます。

 

旅行初日、フォルタレザの路上でスマホ窃盗に遭いました。スマホ泥棒が横行していることは承知してましたが、まさかでしたね。いつもはスマホをズボンのポケットに入れているのですが、たまたま胸ポケットに入れていたのを襲われました。相手はバイクに乗った2人組の年少のガキ、後ろから抱きついてきて、ポッケからスマホをたたき出して地面に落ちて転がったところを奪って、すかさずバイクの後ろに跨り走り去りました。悔しいですが、お見事という他ありません。スマホに入っていたワクチン証明書、ホテルや飛行機の予約情報は印刷していたので、なんとか旅行は続けることができました。保険には携帯品の補償は入れてなかったのですが、電話したところ警察の事故証明書(ポリスレポート)があれば、補償できるとのこと。宿泊していたホテルのお抱えのタクシーで近くの警察署まで連れていってもらい、事情を話してもらい書類作ってもらいました。自分はポルトガル語できないので、アプリでポルトガル語から英語に翻訳してもらって(このアプリ、南米の人の多くがスマホに入れてます。)ちょっとカッコイイおやじの方が担当してくれました。旅先で警察のお世話になるなんて、とてもいい経験になりました。

これまで海外旅行何度も経験していているので、トラブルには耐性があります。トラブルが起きても慌てず冷静に対処を考える、これは旅を重ねることで培われます。

 

帰国して無事にレポートは受理され、新しいスマホ送ってもらいました。いろいろ助けてくれた素敵なブラジル人の方達には感謝申し上げます。Obrigado!☺

 

スマホがなくて写真は撮れません。この紀行文は写真なしで続けます。

 

LA行きのNH126便はすごく空いていて、エコノミークラス1人で3席使えました。

米国入国はトランジットで登録していたので、イミグレはハンコなしでスピード通過。

ここから、低遅延率を誇り絶大に信頼をよせているパナマコパ航空パナマを経由してブラジルのベロオリゾンテに向かいます。そこからAzul航空の国内線でフォルタレザへ。

 

フォルタレザ(Fortaleza)は赤道に近いので10月でもかなり暑かった。セントロは整然としていて、長く続く海岸沿いにはたくさんレストランやホテルが立ち並んでいます。

滞在した土曜日はイラセマ海岸の広大の砂地でコンサートが行われており、大勢が集まり深夜まで大音響が続きました。翌朝、誰もいなくなった海岸を見てみると砂地はかなり面積でそのすごさが実感できました。

 

ハードロックカフェは町の中心から東へ2kmのPapicu地区のRioMar Shopping mall にあります。滞在したイラセマ海岸近くのホテルから、GPSを使って動くオフラインGoogle mapを使って徒歩でたどり着きました。スマホ窃盗はここからの帰路で起きました。

 

翌日はフォルタレザ市内観光をした後、次の目的地日ヒベイラン・プレト(Ribeirao Preto)に向かいます。

ポルトガル語のrはrhの音に近く読みはリベイランではなくヒベイランにしておきます。モーサテの“なるほど・ザ・新興国”でもそのように発音してました。リオ・デジャネイロもヒオの方がいいらしいです。

多くのハードロックカフェは毎日営業なのですが、ブラジルでは国の慣習に従って月曜日は休みです。それで日曜日の移動がmustとなりました。ブラジル最大の国内線ルートを持つアズール航空はサン・パウロ州のCampinas(関東でいえば茨城空港みたいな感じです)をハブにしており、フォルタレザからここで乗り換えヒベイランに18:35に到着。ハードロックカフェはArena Eurobike Stadiumに隣接しており、ここはタクシー使って行きました。催し物が無く真っ暗のスタジアム周辺に灯りが付いているのがHRCと隣のレストランでした。ここに置かれると迷子になるので、スタジアムから徒歩10分の大きな道路沿いにホテルを予約しておきました。ホテル周辺はレストランやショップが並んでいて、大きなスーパーもあったのでそこでビールとおつまみを買い夕食としました。

 

翌日は10:00のアズール便でCampinasを経由してクリチーバに行く予定でしたが、10:00の便が欠航で15:30の便に振り替え、結局クリチーバには前日同様18:00過ぎに到着。月曜日は移動日にしてたので良しとしましょう。BRL400(JPY11,000)のクーポンもらいました。90日有効なので使えるか微妙ではあります。

 

クリチーバは今回の旅行で一番楽しみにしていた街です。噂通りの清潔な環境都市でした。日本と同様ゴミの分別があります。街並みは整然としていてヨーロッパ風でした。HRCは西側のおしゃれな地区にあります。ここは大きなギターの飾りがあって、すぐに見つかるほど目立っています。つくづく写真撮れなくて残念です。翌日は雨であまり多く市内観光はできませんでした。火曜日なのでHRCは営業。その近くの小さなビュッフェ形式の中華料理屋で、今回の旅ではじめてまともな食事をしました。クリチーバがあるパラナ州はコーヒーの産地です。ホテルの朝食のコーヒーでもすごく美味しかったです。

 

翌日はクリチーバ7:55のアズール便でフォス・ド・イグアスに向かいます。イグアスの滝を見るのです。定刻通りフォス・ド・イグアス空港到着9:00。空港からイグアス国立公園まで約2km。バスで行きましたが、歩いても行けそうです。大雨と洪水でイグアスの滝が大変なことに・・・というニュースが出回っていましたが、朝から大勢の観光客で賑わっていました。入場料はBRL107(JPY3,000弱)自動販売機で希望の時間帯を選んでクレジットカードかデビットカードのみで購入というシステムです。バスに乗って遊歩道の入り口まで30分、遊歩道に入る轟音と共に滝が見えてきました。ついに世界3大瀑布制覇です!(^^)! さすがに壮大で迫力ありますね。大雨の後なのですごい水量、音、そして濁ってます。

ずぶ濡れになりながら1時間かけて遊歩道の終点に。ここからバスに乗り公園入口に帰ります。愛くるしいハナグマにも遭遇できました。

滝観光を満喫した後は、バスでフォス・ド・イグアスへ。バスは近距離バスターミナルに着きます。ここからパラグアイシウダー・デル・エステへのバスが出ています。これに乗ると止まらず国境を越えてしまうので、国境を超える前で降ろしてもらう必要があります。この辺の事情が良くわからないので、国境まで歩くことにしました。スマホがないので最適ルートがわからず少し遠回りして1時間以上かかりました。国境にはパラナ川が流れていて、それに架かる友情橋を渡ります。予想通り人も車も自由に往来。

まずはブラジル側で出国手続きをして橋を渡り(結構長い)、パラグアイ側で入国手続きをします。どちらも英語が通じず困りました。シウダー・デル・エステからはバスでアスンシオンに行きます。バスターミナルへは国境地点から徒歩40分ですが、またまたスマホがなく困難が予想されるのでタクシー使いました。アスンシオン行バスのチケットを買い、付近を散策。店は結構ありますがほとんど閉店中。しかし地元の人達が集まる市が立っていて様々な食材が売られてました。ここで焼きたてエンパナーダ(南米版ギョーザです)をいただきました。美味しかったです。

アスンシオン行きのバスは深夜便、個室タイプで席はフルフラットじゃないけどかなり下げられます。トイレもついてます。海外でこんな快適なバスははじめてです。

早朝アスンシオン到着、数時間周辺を散策しましたがコンパスがなくどっちが北かわからず、とりあえずホテルへ。とつぜん雨が降りだしました。とりあえず雨中を歩いてHRCまで。市中心部のショッピングモール、レストラン。ギャラリー等が集まるエリアにあります。雨が強くなりパラグアイ川等観光はあきらめました。宿泊したHoliday Inn Asuncionは今回の旅行で一番良かった宿です。パソコンも使えて久々にネットにアクセスできました。

 

翌日は晴れ、ボリビアのサントクルスにそこから国内線でラ・パスに移動の予定でしたが、サントクルス行のParanair が1時間半遅れて予約してたラ・パス行きにぎりぎりで乗れませんでした。

 

振替便は翌日の昼の便しかなく、それに乗ることにして、サンタ・クルスHRCがあるVentura Mall 周辺のホテルに予約なしで宿泊。翌日、1日遅れでラパス到着。前日から2泊で予約してたホテルで飛行機に乗り遅れたこと、スマホを盗まれたので連絡できなかったことを伝えてなんとか1泊だけ確保しました。

 

ラパスは標高3650m、すり鉢状の地形になっていて底(下)に高所得者が住んでいます。Mi Telefericoという公共ケーブルカーが街の上下を結んでいて、これに乗っているだけで観光ができます。

2022年9月に再オープンしたHRCラパス店はもちろん下でレストランやショップが並ぶおしゃれなIrpavi地区にあります。ケーブルカーLinea verde(Green Line)の終点です。

この日のラパスはハロウィンのお祭り?みたいでメインストリートに即席観覧席が設置されていて、歩行困難状態になるほどの人込みでした。

 

旅行はこれで終わり。チチカカ湖とウユニ塩湖は次回持ち越し。Uyuniというビールが美味しかったです。翌日、サンタクルスに戻り、パナマとLAを経由して帰国しました。

 

今回の旅行で出発で利用した空港はすべてプライオリティ・パスが使えるラウンジがありました。もちろん、お酒も飲めます。国別に見たことも聞いたこともない地元のビール(cerveza)が飲めました。

Priority Passは使えますね~!楽天プレミアムカードの特典で持ってます。

 

Life does not have to be perfect but to be fabulous.

 

 

海外HRC紀行2020

2020年2月のスペインHRC旅行を取り上げます。

スペイン南西部アンダルシア地方のセビーリャとマラガを訪問しました。ここは8-15世紀までイスラム支配下にありました。

2月なのにセビーリャは日差しが強く暑かったです。映画「スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃」や「アラビアのロレンス」のロケ地で知られるスペイン広場は壮大で圧巻。

世界で3番目に大きいセビリア大聖堂は、キリスト教イスラム教が混在する教会だそうです。

HRCは王宮アルカサルの近く、歩行者専用のサン・フェルナンド通りにあります。目立たないので見逃してしまいました。

ここからバスでマラガにおよそ3時間で移動。

港町マラガは海に沿って遊歩道があってとても歩きやすい街。HRCは遊歩道の終点にあります。ここの東側にはレストランやお店がたくさんあります。そこでスペイン料理とワインをいただきました。

 

翌日曜日はジブラルタルへ、マラガからラ・リネアという国境の街まで直行便で3時間4くらい。

入管を通りいざジブラルタルへのはずでした・・・

なんと入国拒否(>_<) 中国、韓国、日本人は新型コロナに汚染されてるからお断りだって!

この時点で本国の英国は規制無しだったのに。

もちろん、入国拒否なんて初めての経験です。そしてコロナ・ウイルスはこの後全世界に広がりました。

日曜日はバスの本数が大きく減ります。仕方なくマラガに帰る便は17時しかなくそれまでラ・リネアの町(何もない)を散策、ちょっとオシャレなカフェで本を読みながら時間をつぶしました。

 

翌日はマラガ観光。マラガはパブロ・ピカソの生まれた街で生家とピカソ美術館を訪ねました。

さてさて、最後にビッグトラブルが待ってました。24日にマラガからフランクフルトへLH便で15:40-18:40、ANAの羽田行き20:45に乗り継ぐ予定でした。しかしフランクフルトからマラガに来る便が3時間以上遅れ、フランクに戻ったのが予定より4時間弱遅い22:15、帰国便に乗れなくなったのです、が~ん!

とりあえず、帰国便を次の25日11:30発に変更してFRA近くのHoliday Innにチェックイン。

羽田到着は26日6:50、急いでタクシー拾って高速を使ってもらったら空いていてなんと35分でうちに着きました。シャワーを浴びて、いつもは乗らない満員の電車に乗り何事もなかったように8:50に出社しました。荷物1つだけのライト・トラベラーができる早業です。

21日(金)深夜に出発して24日が祝日で25日だけ有給休暇使った旅の終了です。めでたしめでたし。トラブルはありましたが、アンダルシアとってもいい所ですよ!